2013年2月26日火曜日

『脳男』と『ジャッジ・ドレッド』

『脳男』と『ジャッジ・ドレッド』
109シネマズ湘南と横浜ブルク13にて鑑賞!
どちらも"善悪"がテーマの作品で面白かったです。

 
ストーリー:残忍な手口の無差別連続爆破事件を追う刑事の茶屋(江口洋介)は犯人の居所を突き止めるが、身柄を確保できたのは身元不明の鈴木一郎(生田斗真)だけ。共犯者と見なされた一郎は犯行が常軌を逸したものだったため、精神鑑定を受けることに。担当となった精神科医・鷲谷真梨子(松雪泰子)は感情を表さない一郎に興味を持ち、彼の過去を調べ始めるが……。





ストーリー:毎分12件もの凶悪犯罪が発生するメガシティ・ワン。そこでは、陪審員、裁判官、刑執行全ての権限を与えられた集団ジャッジが、街の治安を維持していた。ジャッジの精鋭ドレッド(カール・アーバン)は、新人のアンダーソン(オリヴィア・サールビー)と共にギャングを率いるマーマ(レナ・へディ)が支配する超高層ビルに乗り込む。だが、マーマはビルを完全封鎖した上に、住民たちにドレッドの殺害命令を下す。絶体絶命という状況下で、ドレッドは7万5,000人もの敵を相手に戦う決意をする。




『脳男』は感情、痛覚を持たない謎の男が彼の知る範囲で悪行を働いた犯罪者に鉄槌を下していくサイコスリラー。
一方『ジャッジ・ドレッド』は核戦争後の退廃した世界を舞台に、法を司る存在ジャッジ・ドレッドが犯罪者を問答無用で死という判決を下すSFアクション。



『脳男』に関してはとにかく各キャラが立っているんですよね。
生田斗真 a.k.a.イイ男 演じる鈴木一郎の超気合入った無表情とマジで惚れる肉体美がたまりません。最高です。生田くんは前から好きな俳優の一人でしたがここに来て僕の中で評価がグッと上がりました。お手本がない役柄というものほど難しいものはなかったと思います。最高!!

ん"~~~~~全身じゃないのが残念っっ!!!脚本に「鋼のような肉体を持つ彼は・・・」とあるところから筋トレを重ねこのPerfect Bodyに!


爆弾魔の緑川紀子を演じるのは二階堂ふみ。モルヒネを打ち続けないと血ヘド吐いてのた打ち回り、鈴木一郎の存在によって自己を完成させるという大変エクストリームな頭の持ち主。実際飛び級したりと本当の天才ではあるのだが。

鷲谷が爆破されたバスから抜け出た園児を抱え泣き叫ぶシーンや善悪について鈴木一郎に問いただすラストなど仰々しい演技があって邦画っぽいなーと思うところもあるものの、江口洋介のテンプレなデカっぷり(首がグラグラするのは健在)や染谷将太のタダじゃ起きないカウンセリング患者など、各キャラにここぞというシーンが用意されていて無駄な箇所がないと思いました。
あと、緑川の共犯者の水沢が緑川に、鷲谷の母親が鈴木一郎の存在に、志村の母親が鷲谷に、それぞれに対し口にする「神様」を求める言動には無宗教の日本だからこそできる脚本だなーと思ったり。
あとあと、受け答えに対する反応の違いも面白かった!常人は問いかけを最後まで聞き終わる前にその文章を予測して脳内で何らかの反応を示すのに対し、鈴木一郎は問いかけを聞き終わった段階で反応を示す。例えば「私とセックスしたい?」という問いかけの場合、常人は「私とセックs」の時点で「え!?なんだって!?」と反射的に脳内で反応してしまうらしいんですね。しかし鈴木一郎は「私とセックスしたい?」を聞き終わってから初めて「なに!?」と反応するという感情ぶり。ここらへんの解説もいかに異質なのかを上手くやりとりしていて唸ってしまいました。
あとあとあと、劇中でかかる『ミゼレーレ』。このタイトル「神よ、私を哀れんでください」という意味らしく、まんま鷲谷のことを指しているようで痛々しいです。

しかし「ちょっとなー」と思う部分も無くは無い。いくら緑川が天才だからといっても『黄金を抱いて翔べ』じゃないけど爆薬をどこから仕入れ、どうやって一人で巨大な病院内のあるシステムを利用したトリッキーな仕掛けを作ったのか、少し疑問が残るところ。


操演の関山和昭氏による凄まじいバス爆破シーン。ここ10年で最大の爆破らしい。
ちなみに関山氏はあの『巨神兵 東京に現る』にも参加していたのだ!

細かい箇所は置いといても楽しめるほど近年の邦画の中ではかなり冒険的。エンドロールで流れるキング・クリムゾンの『21世紀のスキッツォイドマン』もハマッててかっこよかった。オススメです!





上が今回リブートしたカール・アーバン版ドレッド。下は95年版ドレッド。演じるのはスタローン。
95年版はDVDの再販もないし地元のレンタル店にもないので未見です。なので細かいことは分かりませんが今回のドレッドは一切顔出ししないです。
ちなみに原作は77年イギリスで誕生。作者はジョン・ワグナーとカルロス・エスクエラ。かなり歴史あるシリーズでバットマンやプレデターやらいろんなキャラとクロスオーバーしていて凄く気になる。


こちらが原作。正直めちゃくちゃかっこよくてビビる。相手はジャッジ・デスというヴィランらしい。so cool
ダークナイトシリーズや『スーパー!』、その他コミック原作の映画において主人公が善悪に苦悩して乗り越えるのはもはやお約束であり、それが物語の深みを増長させているのは言うまでもないんだろうけど、それを表立って主人公にさせない潔さがこの『ジャッジ・ドレッド』にはある。
主人公ジャッジ・ドレッドはその場で瞬時に判決を下し歯向かう者あらば即処刑という大変ハードコアなハートの持ち主。一応クローン人間という設定だがアンダーソンのサイキックによって一瞬香る程度でその事実は明かされない。それ故の極端なキャラと言ってしまえばそれまでだが、いつまでもクヨクヨするブルース・キャンベルや時代遅れを気にするキャプテンアメリカらを観て軽くイライラした身としては痛快この上ない。

今年の映画秘宝2月号のギンティ小林さんの記事にもある通り『ザ・レイド』と同じシチュエーション(集合住宅ビル)にてドンチャン騒ぎを繰り広げる。どちらも善良な市民が巻き込まれるのは心が痛むが、そんな傷心した僕らを救ってくれるのはやはりドレッドパイセン。麻薬密売のボス ママをどんどん追い詰め最後は相応しい形で死刑に処してくれます。
そしてこの映画は3Dで観ることえおオススメします!スローモーという吸引すると体感速度が急激に遅くなる新型の薬の効果がトリップ映像としてちょこちょこ出てくるのですがこれが3Dでないと勿体ない!アンダーソンのサイキックを使うシーンも軽くトリップするのでぜひ!!


二作ともとことん正義を貫く描写が最高に面白いし燃えるんだけど、主人公の似ているようで似てない点が『脳男』はイリーガルな正義を貫き、『ジャッジ・ドレッド』はリーガルな正義を貫くというところ。根底は同じでもそこを覆う表皮は両極端な作風という非常に興味深い中でもう一つ共通してるのは、主人公よりも周囲の登場人物が善悪に翻弄され葛藤していくといったところ。
ここに来て元気な邦画と洋画がリンクするという面白い体験をしたので一つの記事にまとめてみた次第です。どちらもオススメ!!



2013年2月15日金曜日

戦火のその先に。『DOCUMENTARY of AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』


ストーリー:2012年はAKB48にとってエポックな1年となった。現在は数少なくなった1期生として初期からグループを支え、センターに立ち続けた前田敦子が脱退を宣言したことから、総選挙は誰がトップを奪うのか大きな注目を浴びる。そして初の東京ドーム公演と前田の卒業公演が続き、また恋愛禁止条例なども話題になった。さらには、東京ドーム公演にてAKB48が組閣するという発表もされ……。


海老名のTOHOシネマズにて鑑賞してきましたー。
結論から言うと、いろいろ思うところはありますが僕は第二弾よりかなり好きでした。というのは前作は震災以降のアイドル存在意義、恋愛問題、戦場同様のバックステージなどの驚異的映像の数々にエネルギーを要する映画で、今作はAKB48の象徴 前田敦子が去った後に残されたもの、戦火を生き抜いた一期メンバーの絆、恋愛問題に人生を左右されるメンバー達など、各テーマのその先に残るものを重点的に取り上げていたから。
前作を観て、さらにその先を掘り下げてほしい!と贅沢かつ残酷な感想を抱いていた僕にとって前作の画的な凄みのその向こう側にスポットをあてた画期的なシリーズ構造になっていて感動しました。

僕は確信しました。これはAKB48ドキュメンタリーシリーズ a.k.a. 前田敦子トリロジーであると!
ラストステージにクローズアップした内容、センターという文字通り唯一無二の存在意義、そして彼女本人の意識以上に珠理奈や城ちゃんや多くの後輩に確実にその意志が受け継がれていく7年間の総決算であると!
ちなみにここでの城ちゃんって一般人、そしてファンを象徴する位置付けだったと思います。そんな人達の生きる指針として継承が行われている前田敦子という存在はやっぱり神々しい。
その他言いたいことや語りたいことが多すぎます。思い出すだけで涙とめまいがして・・・。TOKYOドームライブの一曲目がAKB48が始めて劇場で披露した『PARTYが始まるよ』なんですけど、これを一期メンバーだけが歌うというファンが歓喜するような演出なんですが、ここでたかみなが前田、峯岸、板野、小嶋、篠田に対し「最初は21人だったけど・・・・6人になっちゃったね・・・」と語りだすシーンがもう6兆点でした。



ただ、僕が少しイラついた点としてはそろそろ運営側、例えばそれこそ秋元康、戸賀崎らが出てきてもいいのではないだろうかという点。戸賀崎の男泣きは正直今作で一番衝撃的だったし、今まで冷徹な印象があった運営側にもやっぱり血が通ってるんだよなーと。人間だもの!ということですよね。
僕は見逃してしまったのだがBSプレミアでAKBをあらゆる面から支えるスタッフのドキュメンタリーが放送されたらしいのでそっちも合わせて見たかった。
なので次回作。次回は確実に峯岸問題からのスタートになるかとは思うのでどんな意見でもいいので聞かせてほしいところですね。


2013年2月12日火曜日

地獄のロマンス『ルビー・スパークス』


ストーリー:若くして天才作家としてもてはやされたカルヴィン(ポール・ダノ)だったが、今ではひどいスランプに陥ってしまっている。そこで、理想の女の子“ルビー・スパークス”の物語を書くことに。執筆に没頭していたある日、何とカルヴィンの前に自分が空想して作り上げていたルビー(ゾーイ・カザン)が現われ……。


新宿武蔵野館にて『ルビー・スパークス』鑑賞しました。
1日一回の上映で三連休ラストの18時といったら混雑するのも納得。
結論から言うと理想とはいかに残酷なものか思い知らされました・・・。こう、千のナイフが胸を刺す的な?某バンド的な?まあそれはどうでもいいんですが。
誰しも一度は理想のガールフレンド/ボーイフレンドを想像し、いつかこんな人に出会えたら…と心ときめかした経験はありますよね。外見、性格、趣味、しぐさ、ファッション、ステータスなど自分に都合のよろしいように作り上げ、そのある種の願望の意に反しやがて現実の恋を迎え入れ、その理想を綺麗なまま心にしまっておくのが世の常だとしたら、この『ルビー・スパークス』はその世の常に一石投じた激甘ショートケーキを食べた後に激辛ジョロキアの刺身を食べるような問題作!!

仕事も恋も私生活も抑制されたかつて天才作家と呼ばれた10年スランプ気味のカルヴィン。
ある日、彼は夢を見る。光の中から現れる女の子の名はルビー。回数を重ねるに連れ彼女の魅力に惹かれていく。そしてルビーを題材にした小説を書き始め、次第に物語の中の彼女に恋心を抱くようになる。
ここからカルヴィンの不思議な体験が始まる。
この作品の恐ろしいところは気に食わないところがあればすぐに上書きできるというところ。
例えば、最近彼女が冷たいな~と思っている男子には「彼女は僕がいないと生活がままならない」と書けば彼女はデレデレのベタベタになるのだ。オソロシイ!!!
故に終盤、カルヴィンがある重要な事実をルビーに伝えるシーンではホラーめいた戦慄が劇場を包み込みます。オソロシイ!!!!


小説を書くのに使われるのはPCでも手書きでもないタイプライターなんです。
これが凄く重要な要素だと思うんですね。タイプライターって失敗が許されないもの、後戻りできないものの象徴だと思います。カルヴィンはタイプライターと同じでルビーとの生活を修正するのでなく、上書きに上書きを重ね、彼女の存在意義自体に負荷をかけていく。無意識に。それを見て修正する方法がないタイプライターと修正する方法を知らないカルヴィンが凄くダブって見えます。実際作家デビューをした元カノと出会ったカルヴィンは同業者としてお互いを励ますでもなく、ましてや寄りを戻すでもなく、残ったのは不必要な関係悪化。
その証拠にルビーが居なくなってからのカルヴィンは一皮向けたような顔つきで『ガールフレンド』を作成する。そこで使うのがタイプライターではなくMacBook。カルヴィンは修正するということを知ったのではないかと、思うんです。



















・・・・・よく調べたらタイプライターって修正効くんですね・・・

自分にしては上手く脳内でまとめられたかなと思ったんですが、まだまだ未熟です。普通に考えて修正効かないんだったら超不便ですもんね。
でも、あながち間違ってないんじゃないかなー・・・それこそ修正すればいいものをカルヴィンは上書きして文章を足していく。ていうか僕はそう思いましたってだけです。
こちらで映画評論家の藤井仁子さんがタイプライターについて言及しています。http://www.kobe-eiga.net/webspecial/review/2012/11/rubysparks.php 確かに終止符が二重になっていた!!! 



そしてルビーが居なくなってからカルヴィンはこの不思議な体験を元に『ガールフレンド』という小説を発表し、再び天才作家の地位に返り咲く。
心理セラピーの先生はカルヴィンが安定した生活と地位を取り戻したと安心する。カルヴィンは先生にこう言う。
「本当にあったことかもしれないと思ってくれ。僕のために。」

なんて素敵でどうしようもない男の話でしょうか。もうすぐ上映終了ですが、オススメです。